2015年8月26日水曜日

8月 26日(水) くもり 足を運んで分かる・感じるフクシマツアー見聞録 最終章!

足を運んで分かる・感じるフクシマツアー見聞録・最終章

 ツアー2日目、午前は「南相馬ソーラー・アグリパーク」を見学し、その後湯沢への帰路となりました。視察は初日の約5時間位でしたが、現地に足を運んで避難者・被害者の生の声を聴き、また被害地を目の当たりしたことは、やはり百聞は一見にしかずです。
 とくに300頭の被ばく牛を飼育している吉沢さんの怒りの言葉は、旧日本軍の姿と重なり、また安倍首相の歴史認識(※まともに歴史の真実を向き合おうとしない)そのものでした。人権を奪う(棄民)、国民を大切にしない政治は許せませんでした。
 さて関越道路・三国トンネルを抜けたとき、車中で「ここまで来れば我が家に着いたものと同然。予定時間より早かったね」と安堵の声が聞こえました。こんなありきたりの言葉が、避難者にとっていつ言えるのでしょうか。あらためて「アベ政治を許さない」と感じました。  おわり

魚沼民商だより(8/31付け)より

8月 26日(水) 晴れ 8・30大行動まで4日と迫りました!

8・30大行動まで4日と迫りました。
いま全国各地の計画は、8月29日、30日の両日の行動予定だけで244カ所となっています(22日現在、憲法会議集計より)。
この魚沼地域でも2カ所、「魚沼」、「南魚沼」の両市内で開催です。先般は「魚沼」開催を告知しました。今回は「南魚沼」開催を告知いたします。

戦争法案廃案! 安倍政治を許さない! 南魚沼集会
日時 8月 30日(日) 14:00(集会)、15:30(パレード)
会場 南魚沼市民会館
当日、集会にて栃倉あきら弁護士の講演があります。
主催 戦争させない・9条壊すな!南魚沼行動実行委員会

「魚沼」「南魚沼」について、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会のHPにて紹介(お知らせ)が掲載されています。ぜひご覧ください。

2015年8月24日月曜日

8月 24日(月) 晴れ 8・30 うおぬま総がかり行動実行委員会からの告知!

 「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」は7月に、連日国会前で大勢の市民と一緒になり衆院での強行採決に対して抗議行動を徹底的に行い、全国からの怒りの声を集め、安保関連法案成立を阻止するまで全力でたたかっています。7.26国会包囲行動に約2万5000人、7.28日比谷大集会には約1万5000人もの市民が参加しており、世論の力で追い込んでいます。
 8月30日には、国会周辺を10万人以上、全国で100万人の怒りの声を上げようという行動が呼びかけられています。
 その行動に連帯して、魚沼市民の有志で「うおぬま総がかり行動実行委員会」を結成し、同日に魚沼市内で「つどい&パレード」がおこなわれます。

 8月30日、日曜日、午前10時から小出ボランティアセンターにて開催です。

 みなさん、気軽にお越しください。

2015年8月18日火曜日

8月 18日(火) 雨 足を運んでわかる・感じる フクシマツアー見聞録④!

 ツアー最終視察の、希望の牧場・ふくしま(代表 吉沢さん)に到着しました。場所は南相馬市と浪江町にまたがる山間です。この牧場では被ばくした牛を殺処分を拒否し、いまでも牛300頭を飼育しています。
 吉沢さんは「この牧場は多くのみなさんからのご声援・ご協力があって、原発事故に取り残された被ばく牛を、たくさんの餓死と殺処分の悲惨なあの当時の状況から救うことができました。経済的畜産動物としてその意味を失いました。しかし命は大事にされるべきです。この日本は棄畜・棄民という国や社会の事故後のあり方が問われています。福島では子供の甲状腺がんが増え続けています。国は原発事故の因果関係を認めようとしない。この被ばく牛にも異変が起きている。白い斑点牛が約20頭もでている。農水省に調査を依頼したところ、いまのところ原因不明とされています」と、強い口調で国や東電に対して怒りあらわにしていました。(つづく)

魚沼民商だより(8/24付け)掲載。





2015年8月6日木曜日

8月 6日(木) くもり 足を運んで分かる・感じる フクシマツアー見聞録③!

 車中(マイクロバス)、冒頭から志賀さんは「仮設住宅の暮らしが4年目に入りました。この地区でも復興住宅がやっと一棟できただけ。みなさん、仮設住宅の生活知っていますか。夏は熱くて冬は寒い。結露もすごく、壁はカビだらけ健康にはよくない。お隣の声は聞こえ、まったくプライバシーが守られない。東電からの賠償金について、打ち切りの話しが出ている。(また)事故関連死で、多くの方が亡くなっている。ひどいものです」、また「妻子を県外に避難させ、夫は被害地で働いている家庭では、家族の分裂だけではなく、離婚という深刻な問題となってひろがっている」と被害者の実態を告発しました。
 その後浪江町請戸港を通過し、被災した請戸小学校校舎へ、そして南相馬市内津波被災住宅へと通りました。
 この間作業員らの姿以外は、住民に会うことはまったくありませんでした。   (つづく)

魚沼民商だより(8/10付け)掲載。