2015年7月29日水曜日

7月 29日(水) くもり 足を運んで分かる・感じる フクシマツアー見聞録②!

 まずお2人から現地の声を聴きました。中島さん(中島ストアのご主人・「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団長)は「被害者の方々が、1日も早く元の暮らしを取り戻すため。そして放射性物質も原発もない、2度と起こさせない社会をつくるために、原発事故に責任を負う国と東電に対して裁判をおこなっています。いま現在4000名の原告団と、100名の弁護士が結集してたたかっています」と、裁判闘争の経過と支援のよびかけがありました。
 志賀さん(漁業者・小高9条の会)は、原発事故当時と今日の新聞記事の資料をもとに、避難者がおかれている実状が話しされ「私たち避難者の現状がまったく報道されていない。安倍さんは私たちの声を聴こうとしない」、また「いろいろな方から、被害地に足を運んで欲しい。そして原発事故の現実を多くの方々に伝えて欲しい」と力強く訴えました。
 その後一行は、志賀さんの案内で、南相馬市小高~浪江町へと現地視察に行きました。つづく

魚沼民商だより(8/3付け)掲載。

2015年7月23日木曜日

7月 23日(木) くもり 足を運んで分かる・感じる フクシマツアー見聞録!

 7月20日(~21日)、民商会員の高波さん(旅館)が代表を務める「原発をなくす湯沢の会」の主催で、福島原発事故被害地への視察がおこなわれ、富沢支部長(旅館)、佐藤町議会議員(貸店舗)、須田局長ら3人も参加してきました。
20日朝7時、湯沢町公民館前を出発、マイクロバスに総勢19人が乗車して、最初の目的地(道の駅 南相馬)に向かいました。
 常磐自動車道を走行中、浪江町付近で放射線量観測値が5マイクロシーベルトと、異常に高い数値が掲示され、とても不安を感じました。
 正午、道の駅南相馬に到着。現地では、志賀さんと中島さんが出迎えてくださいました。
                                                         つづく

 魚沼民商だより(7/27付け)修正有り

2015年7月15日水曜日

7月 15日(水) くもり 戦争法案反対 宣伝キャラバン行動をおこないました!

 7月9日、他団体にも呼びかけ、小千谷市から南魚沼地域をキャラバンしながら、5カ所(小千谷、小出、大和、六日町、塩沢)でスポット宣伝署名行動をおこないました。総勢42人が行動に参加しました。
 街頭では「ガンバって!」「絶対に戦争はダメ!」の激励の声や、手を振る若いお母さんの姿も目にとまりました。

魚沼民商だより(7/20付け)掲載

2015年7月13日月曜日

7月 13日(月) 晴れ 民商塩沢支部 夏班会盛況です!

 民商塩沢支部は6月の総会以降、5班で班会が開かれました。どの班も盛況で、(今年から商売を若手に継承で)初めて参加した方や、確定申告時期でもなかなか会えない方も参加し、お互いの近況を出しあうなか、「戦争法案」「夏営業」「農政(魚沼コシヒカリ)」「地域経済」など、縦横無尽に語りあいました。
 上村上野班会では、高野さん(旅館)の戦争体験を聴くことができました。高野さんは「太平洋戦争は小学生の頃だった。私の兄弟は8人、2人の兄(24歳)、(22歳)が戦死した。当時の食糧事情は悲惨なもので、サツマイモがご飯代わりだった。クワも食べていた。物資が乏しいため、これが『教科書か!』と思ったほど薄かった。(また)学校は勉学どころでなく、農作業などの労働がほとんどだった」と語り、「もうあんな時代に戻ってはならない」と、その当時を話してくれました。
 石打2班会では、中沢支部長(副会長・旅館)が「小規模事業者持続化補助金」の補助事業者として決まったことが報告されました。中沢支部長は「これからは、私たちもさまざまな制度を活用し、商売を伸ばしていく時代です。その裏打ちが記帳です。本来、記帳は税金申告だけのものではなく、商売と暮らしをどう守るかです」と、書類作成の苦労話も交えながら、お互い経営について熱く語りあいました。
 樺野沢班会では、コメ仙人さんも交えて、農と観光が一体したまちづくりの話題に花が咲き、散会時刻はアッと驚く夜11時頃でした。


魚沼民商だより(7/13付け)掲載。若干修正